創業 明治40年 浜寺名物

松露だんご 福 栄 堂

松露とは?



 ショウロ(松露)は、マツ林の地中に発生する卵形のきのこである。皮は最初は白いが、しだいに褐色になり、触ると赤く変色する。肉がまだ白いものは米松露、淡黄褐色に変色したものは麦松露と呼ぶこともある。それ以上成熟して中が変色したものは食べない。また成熟すると一部が地表に現れることもある。

 美味のきのことされ、古くから食用にされてきた。中国の菌譜(陳仁玉、1245年)には、麦蕈の名で「渓辺の松の砂壌土中に多く生える。俗に麦丹蕈ともいうが、(名前の由来は)よくわからない。味は殊に良く、北方■ (シメジのなかまか?)の類である。きのこの中で最も優れている。」と載っている。日本でも江戸時代頃からの文献には、必ず登場している。

 菜譜(1704年)には「松林の白砂に生じる。二色あって、そのうち白いのが良い。茶色は次である。春秋冬に生じて、暑い月には生じない。毒は無いが新しいのが良く、日を経たのは悪い。新しいものを日に乾したり、あるいは塩につけても良く、遠方に送ることができる。」とあり、和漢三才図会(1713年)には「傘、柄はなく、形はむかごに似ていて円い。外側は褐色で内側は白く、肉は柔らかくて脆く、味は淡泊で甘く香りがある。傘のまだ開かないマツタケの風味に似ている。」とある。

 ショウロの成因について本朝食鑑(1695年)では、「松の津気が凝結してできたもので、それで松露というのである。(中略)

茯苓(ブクリョウ)のまだ年を経ていない幼稚なものだと言われている。考えると茯苓は伐られてから多年を経過した松根の気味であって、抑欝がまだ絶えず、精英がまだしずまらず、精気の盛んなものが外にもれて茯苓となるのである。すると松露は小茯苓と呼んでよいだろう。」としている。

 ショウロの産地としては、筑前の生の松原、駿河の三保の松原、摂津の住吉の松原が有名だった。海岸のクロマツ林に生えるきのことされるが、山の中でも発生する。興味のある栽培のことだが、ショウロは菌根性きのこのため人工栽培ができない。土壌に炭を入れるとショウロの生育に良いとされるが、量産には至っていないようだ。

 巻懐食鏡には「山に生えるのは大毒があって食べてはいけない。山松露という。」とある。ショウロに形が似たきのこで、ニセショウロがあるが、こちらは地表に発生する。あまり知られていないが毒きのこで、私も以前中毒したことがある。名前も似ているが、ニセショウロはショウロとは縁が遠いきのことされている。

 さてショウロはだんご形のきのこであることから腹菌類に所属させているが、最近のDNA解析技術の結果、アミタケにとても近縁であることが判明した。進化の過程で、地下にきのこをつくるようになったとされている。このようなきのこは、他にも多くが知られていて、ヨーロッパで人気のあるトリュフ(西洋松露)はチャワンタケのなかまである。これらのきのこが、なぜ地下生化したのか解明されていない。